【声マガ・インタビュー】松岡 美里

インタビュー

PROFILE

アイムエンタープライズに所属する松岡まつおか美里みさとさんは、兵庫県出身の3月23日生まれ。劇場版アニメ『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』(ミヘッシャ・ヘンス役)や、TVアニメ『わんだふるぷりきゅあ!』(キラリンウサギ役)、『ばっどがーる』(涼風涼役)等に出演。2025年は『キミとアイドルプリキュア♪』にキュアアイドル/咲良うた役で出演。
プライベートでは、「今、広告に出てくるアプリゲームをダウンロードして遊ぶことにハマっている」という松岡さん。数ある中でも気になるのは「頭脳系のパズルゲーム」で、「正解したりうまくいった時にポコポコと振動するゲームが気持ちが良くて好き」。夢中になると2~3時間やっている時もあり、とあるゲームでは世界2位を獲ったこともあるのだとか。そんな松岡さんに、声優をめざしたきっかけや日本ナレーション演技研究所(以下、日ナレ)で学んだこと、今後の目標などを語っていただきました。

声優になれば、魔法が使える! と声優に憧れた小学生時代

声優という仕事を意識したのはいつ頃ですか?

小学4年生の時でした。アニメ『FAIRY TAIL』にハマって、ファンブックに載っていた声優さんのインタビューを見て、声優という職業があることを知りました。

では、声優をめざしたきっかけは?

『FAIRY TAIL』で描かれているような魔法の世界に飛び込みたいとずっと思っていて、声優になれば、その世界の中で生きられるし、魔法も使える! と思ったことがきっかけでした。

日ナレに通い始めたのはいつですか?

中学1年生の時でした。実は声優をめざし始めた小4の時には、「日ナレに通いたい」と母に告げていたんです。アニメイトで買い物をした袋の中に日ナレの広告が入っていて、運命を感じてしまって。
でも、その時、私は神戸に住んでいて、一番近いレッスンスタジオが大阪で。母は小学生を1人で神戸から大阪まで通わせるのは心配だったようで、「(日ナレが)近所にできたらね」と諭されまして。私はそれをずっと覚えていて、中学に上がった時に日ナレのホームページをチェックしたんです。そうしたら「神戸校開校」って出ていて! またもや、これは運命だ! と感じて、さっそく母に告げて、通い始めました。

レッスンを重ねることで演技の楽しさを知り、心の中も豊かに

入所した頃の日ナレの印象はいかがでしたか?

神戸校の1期生として、毎週日曜日の夕方、ジュニア声優クラスに通い始めたのですが、志が一緒の同世代の人たちが集まっていたから、仲間ができた気持ちになって、すごく嬉しかったし、楽しかったです。

ジュニア声優クラスのレッスンはいかがでしたか?

中学時代の3年間ジュニア声優クラスに通ったのですが、人前で恥ずかしがらずに表現するレッスンを重ねて、心の中が豊かになっていく感じがしました。
何より演技って楽しいってすごく思うようになって、講師の方からは「その楽しいという気持ちを忘れてはいけない」と常に言われていたのですが、プロになった今、楽しんで演じることって大事だと強く思っているので、ジュニア声優クラスでの日々は、声優としての大切な心構えを教えていただいた時間だったんだなと実感しています。

ジュニア声優クラスで特に印象に残っているレッスンはありますか?

講師の方が考えてくださったいろいろなゲームをやったことです。例えば、前の人がやったエチュードからお題をもらって、次の人にエチュードをつなげていく連想ゲームとか、ゲームを通じて楽しみながら表現力を高めることができました。
当時、私は中学で演劇部に所属していたのですが、演劇部では大会に向けて劇を作っていたので、セリフを覚えたりするのが結構大変で、日ナレが私にとってはオアシスになっていました。

その後、基礎科、本科、研修科で、印象に残っているレッスンはありますか?

私、すごく泣く生徒だったんです。特に研修科時代の講師は厳しく指導してくださる方だったので、ダメ出しをされ、「もっとできるハズ!」と鼓舞される瞬間がいっぱいあって。
そう言われるたびにできない自分が悔しくて涙が出てしまっていたんです。でもその講師の方は、レッスンの最後に必ず、丁寧なアドバイスをしてくださいました。そのアフターケアに、私たち受講生にこんなに向き合ってくれる大人がいるんだということがすごく嬉しかったし、講師の方の愛をすごく感じて、また、泣けてきて(笑)。
今振り返っても、ああやって厳しく指導されなければ成長できなかったなと思うところがいっぱいあるので、今の私を築くうえで日ナレの日々は本当に大切な時間だったと感じています。

学業優先の高校時代。出演した1本の作品は大切な思い出に

事務所に所属したのはいつですか?

高校1年生の時、基礎科の終わりの所内オーディションに合格し、アイムエンタープライズに所属しました。ジュニア声優クラスから通い始めて日ナレ4年目での所属だったので、連絡を受けた時は、やっとスタートラインに立ったという気持ちでした。

初めてのお仕事はいつ、どんな作品でしたか?

高校3年生の時、『ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生』という映画の吹き替えでした。当時は神戸に住んでいて、学業優先にしていたので、事務所に所属しているとはいえ、それまでお仕事は一切していなかったんです。そんな中、マネージャーさんから突然、『松岡さん、お仕事です』って電話があって。
収録の日は、学校を休んで、新幹線で東京に行って、お仕事をして、日帰りで神戸に帰るという、当時の私にとって非日常的な1日となりました。

初現場はいかがでしたか?

セリフはほんの2つ~3つしかなかったのですが、マイク前に立つのも、外画のアフレコも初めてだったので、本当に緊張しました。
しかも、この作品はちょっと特殊で、事前にVTRはいただけず、現場に行って、出演者全員でVTRをチェックしてからアフレコブースに入るという手順だったので、聞いていたのと違うぞ! ってすごく焦ってしまって。
でも、先輩方が本当に優しくて、VTRを見ながら「ここがあなたの出番だよ」とか「ここの秒数を書いておきな」とか細やかに教えてくださって、音響監督さんも楽しませてくださって、環境に恵まれて、なんとかやり遂げることができました。何よりマイク前に立ったらすっごく楽しかったんです。事務所に所属してから高校時代に出演したのはこの作品1本だけなのですが、すごく大切な思い出になりました。

今も自分を鼓舞してくれるキャラクターとの出会い

本格的にお仕事を始動されたのは、高校卒業後からだったのですか?

高校1年で事務所に所属できたので、卒業後は大学には進学せずに、声優の仕事に全力を注ぐべく東京に出ようと決めていました。
とはいっても、上京してしばらくはオーディションは月1回あればいいかなくらいの感じで、週1回日ナレの研修科に通い、あとは自分でボイスサンプルを録音して事務所に送るなど、できることややるべきことを常に探して行動していました。
初めての東京、初めての一人暮らしに加えて、先に対する不安もありましたけど、東京の日ナレでもすぐに仲間がいっぱいできたので、日ナレでの時間がやはり私にとってオアシスになっていました。

初期の頃で一番印象に残っている作品は何ですか?

初めてオーディションに受かった『映像研には手を出すな!』というアニメです。週に1回アフレコがあったのですが、セリフがいっぱいあって、どういうふうにチェックしたらいいのかなど自分の中でまだルーティーンが確立できていない中、1週間かけてチェックして。
今考えると、そこまで根を詰めるとお芝居が凝り固まってしまい、かえってデメリットになる部分もあると考えられるんですけど、当時はとにかく不安だったし、とことん突き詰めたい性格でもあったので、1週間びっしり作品のことを考えてアフレコに臨んでいました。
でも、作品にとことん向き合ったあの時間は、今の自分を築く上での自信にもつながった気がします。それに、この作品は今も行き詰った時や落ち込んだ時に見返して、助けてもらってもいるんです。辛くなった時、いろいろな人が助けてくださるけれど、自分が演じたキャラクターの「私は私を助けるんだ」っていうセリフを聴くたびに、最終的に自分を立ち上がらせるのは自分しかいないって鼓舞されて、もっと頑張るぞって思えて。
この作品とキャラクターは自分の人生を変えてくれたありがたい存在。この作品に出会えたことは人生の宝物だと思っています。

日ナレのレッスンが仕事の現場で活きていると感じることはありますか?

研修科2年目の時、「もっとリラックスしてお芝居しなさい」と言われたことです。
当時は、全力でやるんだという思いが強い分、すごく肩に力を入れてお芝居をしていたのだと思います。“努力=辛いこと”と思っていて、“努力=楽しいこと”って思えなかったんです。でも、自分が楽しいと思っていなければ、聴いている人も楽しいと思えないと教えられて。
その後、出演したゲームの『艦隊これくしょん-艦これ-』で、まさにそのことを体感して、“楽しむこと”はその後の私のお仕事の指針になりました。

その作品で声優として開眼されたのですね。

それまではすごい緊張と不安を抱えながら現場に行って、いつもああすればよかったかな、こうすればよかったかなっていろいろ反省しながら帰っていたのですが、この現場は、ただただ楽しんで終われて、自分がこんなにも楽しかったのだから、聴いている人にもきっと楽しいって思ってもらえるのではないかと実感できたんです。
何か具体的なきっかけや出来事があったわけではないのですが、本当にスッと肩の力を抜いてお芝居ができて、パッと視界が開けたみたいな感覚といいますか。きっとそれまでの何年間かの積み重ねがあったからこそ、そこに辿り着けたのだと思います。

いろいろな人から吸収し、一生学び、一生成長していきたい

ご自身が考える声優の魅力とは?

声優って何にでもなれるんです。私は人間だけど、猫にもなれる。私は女子だけど、男子にもなれる。この世のすべてのものになれる。それだけでなく、私は歌を歌い、ライブをし、ラジオもやらせてもらって、たくさんのことに挑戦させていただけている。
プレッシャーに押し潰されそうになりながら、マイク前に立っていた時期もありましたが、ワクワクした刺激的な生活を送れていて、先輩方はじめ皆さんと一緒にお芝居の掛け合いができるということも本当に楽しい。小さい頃、憧れていた以上に、実際に魔法を出すより、声優の仕事って楽しいかもって思っています。

今後はどんな声優になりたいですか?

アニメはもちろん、吹き替えでもメインを張れるような声優になりたいです。そしてどんな作品においても、私が演じたキャラクターが素敵に輝いて見えるよう、キャラクターが生きる手助けができる声優になりたいです。
私はいろいろなことに興味があるので、歌もラジオも何でも挑戦していきたいですが、やはりお芝居が一番。お芝居をするということはずっと続けていたいです。

そのためにどのような努力を重ねられていますか?

声優としては、邦画や洋画をはじめいろいろな作品を観て、いいなと思ったフレーズは録音したり自分でやってみたりしていますし、パワフルだったり元気と言われる自分の個性を磨いておくことも大切にしています。
何より、私は「人類の後輩」でありたいと思っているので、いろいろな人から吸収して、一生学んで、一生成長していくことを心がけています。私の長所は努力できるところかなとも思うので、日々、目に見えない部分の積み重ねを惜しまずできる人間でありたいと思うし、そこは誰にも負けたくないと思っています。

最後に声優をめざしている読者にメッセージをお願いします。

私も日ナレ時代は、所属した先輩方のインタビューを読んで、めちゃくちゃ士気を上げて、私もいつかここに載るんだ! とか、この方とお芝居するんだ! という強い気持ちを持って、レッスンに励んでいました。インタビューの中で、「週1回のレッスン以外の時間に自分でいっぱい考えて、レッスンは発表の場にしたほうがいい」とおっしゃっていた方がいて、実践していたのですが、本当にその通りだと思っているので、皆さんにもその心持ちを大切にしてほしいと思います。
あと、声優になるためには私生活でいろいろな経験をすることも大切なので、レッスン以外の経験もいろいろ積んでください。これを読んでくださっている皆さんと、アフレコ現場でいつか一緒に掛け合いができることを楽しみにしています。

プロフィール

松岡まつおか 美里みさと
所属事務所:アイムエンタープライズ
主な出演歴
キミとアイドルプリキュア♪(キュアアイドル/咲良うた)
ばっどがーる(涼風涼)
映像研には手を出すな!(水崎ツバメ)
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