【声マガ・インタビュー】浦 和希

【声マガ・インタビュー】浦 和希_01 インタビュー

PROFILE

ヴィムス所属の浦和希うらかずきさんは、大阪府出身の10月18日生まれ。『ブルーロック』(潔世一役)、『シャドウバースF』(真壁スバル役)、『カミエラビ』(ゴロー /小野護郎役)に出演。2025年は『どうせ、恋してしまうんだ。』羽沢輝月役で出演。
「今、競技用のルービックキューブにハマっている」という浦さん。「ルービックキューブには公式みたいなものがあって、それを暗記しておけば、このパターンならこの公式が当てはまるというように解けていくんです。元々理系なので、それがすごく楽しくて」。
そんな浦さんに、声優をめざしたきっかけや日本ナレーション演技研究所(以下、日ナレ)で学んだこと、今後の目標を語っていただきました。

アニメから流れる声に胸を打たれ、声優の道へ

声優という仕事を意識したのはいつ頃ですか?

中学生の時、いろいろな職業を体験してみようという授業があって、その中の一つが声優でした。
その時の僕はお芝居とか芸術的なことには全く興味がなかったのですが、声優を希望する人が多くて、「そういう選択肢もあるのか」と衝撃を受けたことを覚えています。

声優をめざそうと思ったきっかけは?

友達に勧められて深夜アニメを観るようになって、『ストライクウィッチーズ』にハマったことがきっかけでした。
それまで僕はゲームクリエイターになりたくて、脚本を書く練習とか、プログラムを書く練習とか、自主的に勉強を続けていたんですけど、僕が携わりたいと思っていたゲームが終わってしまって、虚無感を抱えて落ち込んでいた時でした。
アニメの中で、主人公が「あきらめないで」って連呼するシーンが自分にすごく響いて、もう一度、何かをめざして頑張りたいと思うようになったんです。
同時に、そのアニメのように、自分も言葉の力で誰かの人生を良き方向に向かわせてあげられるような人間になりたいと思って声優をめざしました。高校2年生の春休みのことでした。

日ナレを選んだのはなぜですか?

どうやったら声優になれるのかを調べるうちに、養成所があることを知って、日ナレなら高校や大学で勉強しながらレッスンが受けられるということで決めました。
両親には大学に進学するよう言われていましたので、両親を説得するためにも、学業と両立できることは必須でした。日ナレには、グループプロダクションが6社もあることも魅力でした。

自己紹介もできなかった1日目。自分の考えの甘さに気づかされた日ナレ時代

入所した頃の日ナレの印象を教えてください

高校3年生の7月から、毎週金曜日、学校が終わった後、大阪校に通い始めました。
金曜日の夜だったからか、社会人の方々より僕と同い年くらいの高校生の子たちが多くて、みんなで一緒に肩を組んで、一歩ずつ進んでいこうという団結力みたいなものがあって、クラスメイトたちにはすごく助けられました。
入所当初はとにかくお芝居は未経験だし、人前で話すのは苦手だし、声優に向いていないかもしれないって自信をなくしていましたから。

入所してすぐ、自信をなくしてしまったのですか?

まず初日にやらかしてしまったんです。
梅田に行き慣れてなかったので、道に迷ってしまい1時間半遅刻してしまって。みんなの自己紹介が終わる頃、ギリギリで間に合って、すぐに自己紹介をするよう言われたんですけど、人前に出ることがとにかく嫌いだったので、どう話したらいいか全くわからなくて。
1分間与えられたけど、ずっと黙っている状態で、50秒くらい経ったときに講師の方から「声優をめざすうえでは人前で話せるようにならないといけないし、挨拶もちゃんと聞こえる声で言えなければいけない」と注意を受けてしまいました。
声優は顔を出さないし、裏方みたいな印象があったので、人前に出るのが苦手な自分でもできるって考えてしまっていたんですよね。
でも、アフレコブースに入ったらみんながいる前で芝居をしなければいけないのですから、自己紹介もできないようでは声優になれるわけがない。自分の考えが甘かったなと再認識しました。

90点でなく200点を取りに行け。講師の教えによって築かれた声優としてのスタンス

日ナレに通っていた頃の生活サイクルを教えてください

入所して9カ月後、大学に入学してからは、日ナレと大学の授業、大学の広報部のお手伝い、バイトの4つを掛け持ちしている状態でした。
削れる時間は睡眠だけということで、1週間の睡眠時間が10時間なんて時もありました。でも、どれも本当に楽しくて辞めたくなかったし、毎日が本当に充実していました。

日ナレのレッスンで印象に残っていることはありますか?

本科の時に講師の方から「人のことを考えてください」と言われたことです。
その言葉の意味について、詳しく説明はしてくれませんでしたが、いろんな意味合いが詰まっているなと深く考えさせられました。
例えば、演じる役柄について考えることも人のことを考えることですし、掛け合う相手役のことを考えることも、自分自身のことを考えることも人のことを考えることです。この言葉は、プロになった今も事あるごとに思い出しています。

そのほか、レッスンで成長を実感できる出来事はありましたか?

研修科の時に講師の方から受けた「90点を取りに行くな。200点を取りに行け」という教えによって、僕の声優としてのスタンスは築かれたと思っています。
それまで僕はレッスンで発表の機会があるたびに、自己紹介もできないし、芝居も下手くそと自覚していたので、なんとか平均点を出せるようにしたいと、ミスをしないように、きれいに収めることばかりを考えて芝居をしていたんです。そんな僕に講師の方は、「今、80点取りにいったな」とか「70点取りにいったね」と指摘して、「それでは誰かの胸には刺さらない」と。
「養成所時代はみんな下手くそなんだから、平均点を出そうなんて思わずに、空振りになって0点になってしまってもいいから200点出そうとして思い切りフルスイングしろ」と指導してくださったんです。
その教えによって、自分が解放されたというか、自由にお芝居ができるようになって、その後、ひと言だけですけど、映画のエキストラでセリフのある役をいただけたり、それまで毎年落ちていた所内オーディションに合格して、事務所に所属することもできました。

型があるから型破りができる。プロになった今も大事にしている日々の努力の積み重ね

事務所に所属したのはいつですか?

研修科2年目の終わりのオーディションに合格し、ヴィムスに所属しました。
ちょうど就活が始まるタイミングで、大学で学んでいたこともやりたいことの一つだったので、就職も考えてはいたのですが、事務所に入ることができたので、声優一本でいく覚悟を決めました。

初めてのお仕事は何でしたか?

ゲームの収録でした。事前に何度も自分の声をスマホに録音しては聞いてと練習を繰り返して臨んだのですが、やっぱり携帯から聞こえてくる声と、高性能なマイクを通しての声とは全然違いました。
自分がこれだと思って演じた芝居も、制作サイドの意向とは違っていて。ところが、もっとこうしてほしいというリクエストを受けても、それが理解できなくて、どう変えたらいいのかわからなくて。
幸い、優しい現場で手ほどきをいただきながらなんとかやり遂げることができましたけど、汗だくでした(苦笑)。

レッスンとプロの現場とでは雰囲気が違いましたか?

やっぱり違いますね。日ナレは受講生が一緒に所属に向けて頑張る場でしたが、プロの現場は成果を出すところ。
お金をもらえるだけの芝居ができるのが当たり前ですし、現場によっては納品が迫っているなど、時間がない場合もありますから、100%のパフォーマンスをいつでもすぐに出せることが求められます。
僕はたまたま初めての収録が余裕のある現場で、手ほどきをいただけましたけど、それではいけないと強く感じました。

その後、印象に残っているお仕事は?

大学卒業後に上京して、本格的に活動をスタートした年に出演した『Dimensionハイスクール』はすごく鮮明に記憶に残っています。
アニメパートとドラマパートがある特殊な作品で、声優さん半分、2.5次元俳優さん半分という作品だったのですが、実は僕は声優のオーディションには落ちているんです。ところが、ありがたいことに、「実写パートで出てください」と言っていただけて、初めてのレギュラーでまさかの顔出し(笑)。
僕は映画が大好きだったので、これは実写の世界でも活躍できるチャンスになるかもしれないとすごく張り切ったのですが、実際は、撮影期間の10日間は芝居の基礎ができていないことを痛感する日々でした。まず、手足の動かし方がわからない。アニメだと、A地点からB地点へ移動する時は勝手に絵が動いてくれますが、映像だと自分で動かなければならないし、その動きにもキャラクター性が表れます。さらに、それまでのお芝居では、話しかける際に、Aさんに話しかけているのかBさんに話しかけているのか、両方に話しかけているのか、対象物が明確ではなくてふわふわしていたけれど、映像のお芝居はそれでは成立しないから目線が大事になってくる。
もう恥ずかしいくらい何もできない状態でした。でも、その経験が、結果、声優としての自分の成長にすごく活きることになりました。

実写の芝居が声優の芝居に活きたのですか?

今、お話したような実写で必要とされるスキルは声優としても必須だということに気づいたんです。
実際、活躍されている声優の先輩方は、皆さん、頭の中で映像として自分がちゃんと動いていて、だからこそ、観ている人の胸を打つような、リアルなお芝居ができている。それがわかって、そこから必死に勉強しましたし、それによって、一層声優の仕事が楽しくなりました。

プロになってからも勉強を続けられたんですね

実はコロナ禍で後輩たちがオーディションに次々と受かる中、僕は何もやることがなくて、自分の才能は結局この程度だったのかと限界を感じてしまった時があったんです。
でも、考えてみたら、自分は人前で自己紹介もできなかった人間だったわけで、そんなヤツが何をうぬぼれてるんだ、年齢がちょっと上だからって勝てると思っていることが恥ずかしいと思い至りまして。
そこからは原点に立ち戻って、一から自分を見つめ直そうと考えて、発声など基礎からコツコツ反復練習を積み重ねました。僕、歌舞伎役者さんが言った「型があるから型破りができる。型がなければ形無し」っていう言葉が大好きなんです。
自分は声優として型破りなことがやりたいし、そのためには型をしっかり固めておかなければなりませんからね。でも、そうやって地道に力が身についてきたかなって思えた時期に、アニメ『ブルーロック』のお仕事をいただけたので、やはり日々の努力の積み重ねは大事だなと感じました。

アニメ『ブルーロック』では初主演を果たされました

僕が演じる潔世一は、敗者から少しずつ勝利を重ねていって世界一のストライカーをめざすキャラクターなんです。
僕が『ストライクウィッチーズ』で主役を演じている福圓美里さんのお芝居によって人生を変えられたように、潔世一も観ている人たちにプラスに向かえる何かを伝えられる役だと感じました。それは声優として自分がやりたいことにすごくマッチしているので、演じられることにとても幸せを感じています。

全然ダメだと思っていた自分の人生が活かせる。声優の仕事は自分の天職

ご自身が考える声優の仕事の魅力について教えてください

音響監督の三間雅文さんと食事をした時に、「浦、お前は自分の人生好きか?」と聞かれたことがありました。
僕は正直に「今までの人生は好きじゃないです」と答えたら、「それでいい」と。「自分の人生が嫌いな方が、何かになりたいという願望を、作品や演じるキャラクターに乗せられるから、より深い芝居になる」とおっしゃったんです。
たしかに、苦しんでもがいているキャラクターを演じる時、苦労をしたことがない人はその苦しみがわかりません。挫折を味わって苦しみを覚えた人の方が真が出る。そう考えると、声優は全然ダメだと思っていた自分の人生が活かせる仕事なのだから、今までの経験に感謝だし、自分の天職かもと。素晴らしい仕事に出会えたと思っています。

今後はどんな声優をめざしていますか?

人生は辛いことだけじゃない、生きていくうえでは選択肢がいっぱいあるということを作品を通じて伝えていきたいです。
そのためには声優としての技術はもちろん、人間的に磨かなければならない部分がまだまだたくさんありますから、今後もその努力は惜しまないようにしたいと思っています。

最後に声優をめざす読者にメッセージをお願いします

正直言って、声優はめざさないほうがいいです。本当に大変な世界ですから。
でも、それでもやりたいと思っている人には、70点でも90点でも100点でもなく、とにかく200点をめざして一生懸命頑張ってほしいと思います。
そのためには日ナレはおすすめですよ。何回転んでも立ち上がれる仕組みになっているし、転んでしまった人にも優しいですから。僕自身、日ナレでなければ続けられなかったと感謝しています。

プロフィール

うら 和希かずき
所属事務所:ヴィムス
主な出演歴
ブルーロック(潔世一役)
シャドウバースF(真壁スバル役)
カミエラビ(ゴロー /小野護郎役)
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